十月の第一土曜の夜だった

 十月の第一土曜の夜だった。フィンカムの近くの、運転手のたまりになっている飲み屋へ車をたのみに行くと、顔馴染の運転手がこんなことをいった。「あそこのマダムは、おめえのおふくろなんだろう。おめえはたいした孝行者なんだな。だがな坊や、おめえが送りこんだやつとおめえのおふくろが、どんなことをしているか、知ってるのか」 太郎がだまっていると、その運転手は、「知らなかったら、教えてやろうか。こんな風にするんだぜ」 といって、仲間の一人を抱いて、相手の足に足をからませて、汚ない真似をしてみせた。 太郎は母のフラットへ忍びこんで、ベットの下で腹ばいになって寝ていた。夜遅くなってから、太郎はげっそりと瘠せて寄宿舎へ帰ると、臥床《バアス》の上に倒れて身悶えした。 汚ない、汚ない、汚なすぎる。人間というものは、あれをするとき、あんな声をだすものなのだろうか。サイパンにいるとき、カナカ人の豚小屋が火事になったことがあったが、豚が焼け死ぬときだって、あんなひどい騒ぎはしない。母なんてもんじゃない、ただの女だ。それも豚みたいな声でなく女なんだ。いやだ、いやだ、こんな汚いところに生きていたくない。今夜のうちに死んでしまおう。死にでもするほか、汚ないものを身体から追いだしてやることができない。 太郎はロッカーから母の写真や古い手紙をとりだして、時間をかけてきれぎれにひき裂くと、炊事場の汚水溜へ捨てた。なにか仕残したことはなかったかと、部屋のなかを見まわしたが、しておかなければならないようなことは、なにもなかった。「することなんかあるわけはない。ぼくには明日というのがないんだから」 始発の電車が通る時間まで「ちょっと眠っておく」という簡単な作業のほか、自分の人生にはもうなにもすることがないのだと思うと、その考えにおびえて、枕に顔を埋めてはげしく泣きだした。「果してお前は堕落した。酔っぱらって相模線のレールの上を歩いていて、電車に轢かれかかったそうだな。酒まで飲むとは、先生も思わなかった」

— posted by id at 04:27 pm  

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